パパ活で出会った清楚系美女 りな
パパ活アプリで「りな」と出会ったのは、2年前のある金曜日だった。
プロフィール写真は色白で目がくりっとした清楚系美女。
顎のラインは芸術品みたいに細くて、ウエストは俺の握力で折れそうなくらい華奢だった。
写真を5枚確認し、どの角度でも美人だったから「これは本物だ」と確信した。
2万円の食事代を財布に入れて待ち合わせの15分前にカフェに着いた。髪型も整えた。香水もつけた。完璧な準備だった。
ただし、俺が準備していたのは「理想」との食事であって、「現実」との食事ではなかった。
古代ギリシャの哲学者プラトンは「イデア論」を唱えたという。
この世のすべてのものには完璧な理想形——イデア——が存在し、俺たちが目にしているのはその不完全な影に過ぎない、という話だ。
ギリシャ人はいつも核心を突く。
ただ2400年前の哲学が令和のパパ活アプリで完全に証明されるとは思わなかった。
パパ活の写真はまさにイデアそのものだ。
加工アプリという名の哲学装置を通して、顎は削られ、目は拡張され、肌は陶器になる。
そこに映っているのは「その人」ではなく、「その人が存在したかった姿」だ。
つまり俺は実在しない女に2万円を握りしめて会いに行っている。
景品表示法で言えば「優良誤認」。消費者庁に通報していい事案だ。
りなの現実 写真との差に驚愕する
で、りなが来た。正確に言うとりなの「現実」が来た。
カフェのドアが開いた瞬間、俺の視界に入ったのはプロフィール写真とは完全に別の存在だった。
体格は堂々としていて歩くたびに床が微かに揺れた気がした。
相撲で言えば前頭三枚目くらいの貫禄。土俵入りかと思った。
「あ、ヤバ谷さんですか?」
声は可愛かった。声だけは写真通りだった。
いや、声に写真はないんだが、イメージ通りというか。
俺の脳は必死に現実を受け入れようとしていた。哲学書で読んだ「認知的不協和」ってやつだ。
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目の前の情報と脳内の期待が激しく矛盾して、思考が完全にフリーズする。
プラトンの洞窟から出た囚人が太陽を直視できなかったように、俺もりなを直視できなかった。
彼女のプロフィールはもはや創作文学だった。
ノンフィクションだと思って読んでいた本が、最終ページで「この物語はフィクションです」と告げてくるあの感覚。
写真5枚で構築された世界観は、実物1秒で崩壊した。
でも俺はその場で帰らなかった。2万円分の食事はした。話してみたら意外と面白い子で、笑いのセンスは写真より数倍よかった。
加工技術に関してはもはやプロの領域だった。
あの写真を作れるなら広告代理店で即戦力だろう。
ただ、2回目はなかった。
俺の財布にも、心にも、イデアと現実のギャップを埋める余裕は残っていなかった。
どす恋。
